お知らせ NEWS
2024.04.01
2021年6月からはじめた開設75年事業募金は、2024年3月末で終了となりました。ビデオメッセージ VIDEO MESSAGE
2021.05.21開設75年事業募金キックオフでは、髙橋美樹校長から75年事業の概要と志木会への募金の依頼が、
募金委員長の伊藤雅俊(味の素前会長、日本スポーツ協会会長)の挨拶、
志木会会員である戸山芳昭名誉教授と逢沢一郎衆議院議員から応援挨拶、最後に志木会会長坂上隆彦の挨拶がありました。
髙橋校長、伊藤委員長、坂上会長の挨拶を収録してありますので是非ご覧ください。
ごあいさつ MESSAGE
慶應義塾志木高等学校 校長
髙橋 美樹
慶應義塾志木高等学校 校長
髙橋 美樹
慶應義塾志木高等学校
開設75年事業へのご寄付のお願い
謹啓
さて
皆様ご存知のとおり慶應義塾志木高等学校は、2023年に開設75年を迎えます。この機会に、本校では、近未来の教育方針を象徴する標語を、「多様な『交際』ですすめる『数理と独立』の教育」と定め、新たな教育プログラムを立ち上げることにいたしました。
「『数理と独立』の教育」というとき、その本質は、真理原則の飽くなき追究と、その応用にあります。このような実学重視、独立心を養成するような教育をより一層進めるため、少人数・適正規模教育をより一層推進してまいります。ただし、現在の志木高に、少人数・適正規模教育にふさわしい施設が備わっていないことは、皆様ご推察のとおりです。
新たな教育プログラムに必要な施設として、その中核をなすのが、「多目的棟」の建設です。多目的棟には、1学年超を収容できるホール、少人数・適正規模教育を実現する中・小教室群、「多様な『交際』」に関わる和室や音楽室が用意される予定です。この施設の完成により、今まで以上に「『数理と独立』の教育」「多様な交際」を実践できるようになります。「多目的棟」建設には総額で12億5,000万円かかりますが、うち2億9,000万円は、本校が募金で賄わなければなりません。卒業生・関係者の皆様に、ご協力をお願いする次第です。
本事業は、慶應義塾の一貫教育を担う本校として、長い将来を見据えた教育事業です。皆様とともに、未来に向けて、慶應義塾志木高等学校の新たな歴史を刻むことは、慶應義塾伝統の「社中協力」や「人間交際」「半学半教」の精神にも通じます。
つきましては、開設75年事業にご協力・ご寄付を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
謹白
慶應義塾長
伊藤 公平
慶應義塾長
伊藤 公平
慶應義塾志木高等学校開設75年にあたり
慶應義塾志木高等学校が開設75年を迎えるに際し、これまでの志木高の発展を支えてこられた教職員、生徒、卒業生の皆様の創意工夫とご尽力に思いを馳せ、深い尊敬と感謝の念を抱いております。全社会の先導者が育つ環境を創り上げるという点において、志木高のこれまでの成功は、数多くの卒業生の活躍が証明しています。戦後の高度成長期はもちろんのこと、バブル崩壊に続く失われた20年から今日に至るまで志木高出身の皆さんが各界を先導されて来られたことは、志木高の教員一同が生徒本位の教育に日々の改良を重ねながらも、周年事業という節目で、時代を見越した教育改革に取り組んできた成果です。
今回の開設75年で掲げる標語は「多様な『交際』ですすめる『数理と独立』」です。実証科学における知的かつ精神的な「独立」の必要性を強調するものであり、世の中の事象をより「自分事」として捉える意識改革を一人一人の生徒に求めていくものだと理解しています。志木高における先導教育を大きく発展させる大事業ですので、皆様のご理解とご支援を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
以上
慶應志木会 会長
坂上 隆彦
慶應志木会 会長
坂上 隆彦
慶應志木高75周年事業趣意書
従来に比べ大きく様変わりした昨今の世の中、慶應志木会各位には夫々のスタイルにて日々過ごされていることと存じます。
そして何が起ころうとも時代は進み我らが母校、慶應義塾志木高等学校は1948年(昭和23年)慶應義塾農業高等学校として開校以来いよいよ75周年を迎え、より先進的な教育を行う為、多目的楝の建設という記念事業を行う事となりました。
古きは、埼玉県北足立郡足立町大字志木の地、東武東上線志木駅前の武蔵野の雑木林の中にポツンと建っていた校舎、 その母校が今では埼玉県で最も評価を受ける高校の一つとなった事は我々卒業生一同の何よりの誇りであるかと推察致します。
その母校を時代の変遷とともに更なる進化、発展を目指す為起案された75周年事業、ここまで母校を発展させて頂いた先輩各位への感謝、又今後も輩出されていく後輩各位への支援、我々を教育頂いた母校への返礼、今後も続いていくであろう志木高の歴史の1ページにも記すことにもなるかと思う次第であります。
何卒会員各位、関係者各位の物心両面にわたる大いなる温かいご支援をお願い申し上げます。
以上
一貫教育校担当常任理事
山内 慶太
今までの75年の歩みを見つめ、次代への礎を築く。それは、志木高独自の気風をより確かにするものであり、同時に義塾の気風を強くするものです。広く慶應義塾社中をあげて記念事業に協力したい、これが私の率直な思いです。 福澤先生は、今日に至る一貫教育の課程が完成した時に、在学中には「一種の気風を感受すべし。即ち慶應義塾風にして・・・」と記しました。そして、「之を解剖すれば独立自由にして而(しか)も実際的精神より成るを発見すべし」と説明しています。慶應義塾に学ぶことの意義、一貫教育の意義を記した言葉です。ちなみに、本75年事業で謳っている「独立」と「数理」(実際的精神、実学)もこれに対応するものです。 慶應義塾の一貫教育を担う学校は、底流に共通するものを持ちながら、それぞれが個性的で活き活きとした文化と気風を創って来ました。そして、それを吸収した塾生達が次の段階に進学し混じり合う中で、各校の個性が織りなし塾の大きな気風を醸し出して来ました。つまり、各校の個性はその学校で学んだ人だけのものでなく、慶應義塾の人すべてにとってかけがえのないものなのです。 慶應義塾はこれからも、その「一種の気風」を更に逞しくしていかなければなりません。そしてその為にも各校の実践、個性的な文化も益々大切にしたいものです。中でも1948年に開校して以来、独自の模索を重ねて来た志木高の歩みと文化、気風は貴重です。 その意味でも、開設75年事業には、志木高の関係者だけでなく、広く義塾社中の協力をお願いしたいと思います。温かなそして積極的な御支援を宜しくお願い申し上げます。
慶應義塾 前塾長(文学部名誉教授)
長谷山 彰
慶應義塾 前塾長(文学部名誉教授)
長谷山 彰
志木高等学校のキャンパスには欅の大木が林立しています。天に向かってまっすぐに伸び、巨木に成長する欅は昔から武蔵野の景観を象徴する植物であり、若者がすくすくと成長して行く姿に重ね合わせて大切にされてきました。武蔵野の面影を残す豊かな自然環境の中で、志木高生は伸び伸びと学問 や芸術、スポーツ活動に才能を発揮しており、多くの卒業生が志木高には自由があふれていたという感 想を述べています。
志木高はこれまで、日本で唯一24の言語を学べる外国語教育に象徴されるように、グローバル化の時代を先取りする多様な学びと、慶應義塾伝統の「半学半教」の精神に基づき、教員が自ら学びながら教えることを楽しむ独創的な授業を柱に、生徒の自由と主体性を重視した教育を展開してきました。これ によって物事の本質を見抜く科学的合理精神や、異文化を乗り越えて人間関係を作り上げる力を身に着けた卒業生は、社会のあらゆる分野で活躍しています。
この度、慶應義塾志木高等学校は創立75年を機に「多様な『交際』ですすめる『数理と独立』の教育」 を理念に掲げ、教育の向上をめざすさまざまな記念事業の計画をスタートさせました。それらはいずれも 慶應義塾志木高等学校の未来の礎となる大事業です。記念事業を成功に導くために、ぜひ皆様のご理解とご支援を賜りますよう、心からお願い申し上げます。
慶應義塾 前常任理事(法学部名誉教授)
大森 正仁
「志木高という存在」
常任理事として一貫教育校を担当して以来、国際化と少人数・適正規模教育を目標に掲げて来た。 志木高はすでにこれらを授業及び課外活動において多年に渡り実施して来ており、さらに、この度の設 立七十五年記念事業にもその趣旨を組み込んでいただいている。
志木の地で男子の高校生が3年間を過ごし大学へと進学することは、他の一貫教育校と同じであり違いもする。慶應義塾の教育方針にのっとり、独立自尊の気風を涵養することは同一であるが、広大で緑豊かな校内で、教職員、保護者、そして卒業生に見守られながら志木高らしい生活を送ることは、そこで学 生生活を過ごした者のみが語ることのできる経験であると思う。
在校生は自身が志木高そのものであり自らが何であるかを問う機会はないのかもしれない。卒業生は 思い出の中の、保護者は子供の通うところの、教職員は勤務する場としての志木高を感じていることと思う。 七十五年という年月により伝統が創られ、壊され、乗り越えられて常に新たな志木高という存在がある。そのような営みを続けて行くことに多くの期待と夢がある。
次の世代を担おうとする諸君が学ぶ場としての志木高がさらなる発展をすることを心より願い、関係諸氏のこの度の記念事業への賛同を切に乞うところである。
慶應義塾 前常任理事(商学部教授・前校長)
髙橋 郁夫
開設75年事業への取り組みが開始されるとのこと、誠に喜ばしい限りです。周知のとおり、本校は、日本の電力産業の発展に寄与した塾員の松永安左ェ門が慶應義塾に寄贈した、財団法人東邦産業研 究所の土地と建物を活用し、1949年に慶應義塾農業高等学校としてスタートしました。その後、1957年に普通高校に転換、同時に慶應義塾志木高等学校と改称され、現在に至っています。
私は、2012-2016年の4年間、校長を務めさせて頂きました。赴任前、志木高生は、真面目でおとな しい学生が多いと聞いておりましたが、やんちゃな生徒もそれなりにおりました。また、教職員と生徒の距離が近く、とてもアットホームな学校だと感じていました。かつて、松永が郷里でしていたように教員に対して深々とお辞儀をしたところ、慶應では同じ仲間なのだから、それは不要と福澤先生に教えられたと言われていますが、まさにそのような風通しのよさと半学半教の雰囲気が本校にはありました。
近年、本校は、正課および部活動はもとより、国際交流や少人数教育等の面で、めざましい成果をあ げてきました。今回の75年事業のスローガンである、多様な「交際」ですすめる「数理と独立」の教育が、新設される多目的棟を舞台に展開されることを、大いに期待しています。志木校にも、後輩思いの卒業生や支援者がたくさんおられます。第2、第3の松永のような方々が多数現れ、母校の更なる発展に貢献くださることを切に願っております。